こんにちは。こども防災協会のボランティア担当スタッフです。
実はこれまで、代表である鹿島美織から直接、経歴をきく機会はありませんでした。
こども防災協会のスタッフブログを書いていく中で、こどもさんをお預けになる保護者さんにとって、責任者がどのような経歴なのか気になるのではないかという話になったのですが、私自身がそこまで把握しておらず…。
私自身が団体のことを勉強するという意味もこめて、改めてしらべたりしたことをメモさせていただきたいと思います。
鹿島美織のWikiぺディア
弊団体の代表である鹿島美織がこども防災協会を設立するまで、どういった活動をしたいたのか、
また、こども防災協会設立と運営に対する思いはどういたものだったのか、他の方にも伝わればいいなと思っています。
鹿島美織の学生時代について
出身は四国の香川県高松市、現在は「うどん県」として名が知れている香川県の出身です。
香川県は日本で一番小さな県で田舎ではありますが
瀬戸内海に面していることから島々の景色や海などの自然に恵まれた、とてもきれいな場所です。
今年のキャンプで、私自身も訪れました。
親の仕事の関係で転勤が多かったようで、香川だけではなく広島、福岡、東京などを転々としてたものの、高松は中高時代を過ごした思いいれのある場所とのこと。自然の中で育ち、学生時代は水泳を続けていたため、今でも泳ぎは得意のようです。
四国記録や九州記録なども保持しており、ジュニアオリンピックや国体に出ていたそうです。
夏のアクティビティで海や川で行う際は、張り切っている理由がわかりました。
(もちろん事故が起こらないよう、日本ライフセービング協会や日本赤十字社などの講習もしっかり受けて資格などを保持しています。)
そんな香川県で高校時代まで過ごし、大学で東京に行くことになります。
慶應義塾大学の環境情報学部に入学、そして1999年に同学卒業後は株式会社リクルートに就職、株式会社リクルートメディアコミュニケーションズを経ることになります。
ISIZE、リクナビ、ゼクシィなどでの広告制作や企画・編集などのお仕事をさせていただいき、独立を決意します。
鹿島美織が独立しようと思ったきっかけ
リクルートでの経験を経て、その後広告制作、マーケティングのコンサルティングなどとして独立し、2009年株式会社アネモアを設立しました。
現場でのニーズ調査や、ユーザーの購買行動をもとに商品提案、
プロモーションなどの仕事をしていたところに大きな震災がおこります。それが「東日本大震災」でした。
そして東日本大震災を機に、災害の復興支援に奔走。
石巻に支援に行った際に、被災した方が移動に困っていることが多数あることに気づき
車で訪れたボランティアさんと困っている方々を結び付けたりしていたようです。
そしてそれが、ぐるぐる応援団を設立するきっかけになりました。
NPO ぐるぐる応援団とは
ぐるぐる という少し変わった名前は、仮設住宅やボランティアセンター、病院などをぐるぐるバスでまわり被災地の生活の足として地域を応援したいという気持ちからつけたとのことでした。
それだけでなく、被災経験者の方とボランティアや訪問者、
そして周辺住民との様々なニーズを繋ぐことの必要性を感じ
出会う方々の困っていることや必要とすることを見聞きし、都度必要な活動をしていきました。
そんな中で直面したのは、「行く先」さえも失った人が多いということでした。
自分が営んでいた食堂、みんなが集まっていた近所の居酒屋、子どもたちがあそんでいた公園、
そして家。
居場所がなくなった人々は、悲しくても悔しくても立ち上がるしかありませんでした。
そんな中、地元のお母さん方が、手料理でもてなしてくださったことがありました。
私たちも地元の方々と一緒に食卓を囲むと、
みんな笑顔になり、元気な気持ちになったとき、これをやるべきだと思いました。
そして、「いしのま★キッチン」を立ち上げたのです。
地域のためにオープンした「いしのま★キッチン」
”みんなが集まれる場所を作りたい、
みんなで囲んでご飯を食べることのできる幸せな場所を作りたい。”
そんな思いからオープンさせた「いしのま★キッチン」には
もうお店が津波で流されてしまったラーメン屋のお母さん、
お弁当屋さんで働いていたけど職を失ってしまったお母さんなどと一緒に働き
地域の憩いの場にすることができました。
そんな経験がこども防災協会の設立へとつながっていったようです。
いろいろ、手を出してしまうところが代表らしいなと個人的に感じました。
鹿島美織がこども防災に目をむけた理由
こども防災協会の活動の目的は「いざというとき72時間生き延びる子どもを増やす」です。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、災害発生から72時間は人命救助のタイムリミットと言われ
「72時間の壁」と言われる時間です。
人が水を飲まずに過ごせる限界の時間だといわれており、
72時間以内に救助されることが「いのちをつなぐ」目安とされています。
実際、東日本大震災でも、つなげたはずの「いのち」はたくさんあったはずです。
もし少しでも知識があれば、1分でも1時間でも長くいのちをつなげたら助かったかもしれない。
東日本大震災の活動の中で、身近な人を失った方達にたくさんお会いする中で、自分のいのちをまもるために「72時間生き延びる力」をつけてもらいたいと強く思うようになったとのことでした。
何かあった時にも、子どもたちが助かる未来を育むというのは、自団体ながら大事なコンセプトだなと思います。
こどもたちへの思いをアクティビティへ
1秒でも1分でも1時間でもいのちをつなぐために、まずは知識が大事です。
知っていたか、知らなかったか。
その差と行動が運命を分けたと、ご遺族から話を聞いた鹿島はいつも言っています。
津波がくるとわかった後に、いつ、かけだしたのか。
車に水が入り始めた時に、いつ、扉をあけたのか。
(水圧の問題もあり、一定の時間を過ぎるとドアをあけることはかなり難しくなり、別の脱出手段を考えないといけません)。
踏切がおりている道路を待ったのか、渡ったのか。
濡れた服をどうしたか。屋根にのぼる時に手につかんだものは何だったのか。
災害は避けようと思って避けれるものではなく、逃げようがなかった方たちも多くいます。
それでも、防災の知識や経験があれば、つなげる・つながるいのちがあるはずです。
防災キャンプのひとつひとつのアクティビティを考案する際は
子どもたちのためになることを分かりやすく、また楽しみながら学ぶことで
知識として備わるように考えたいなと改めて感じました。
いつか、こどもたちが後世にその知識を伝えてくれるような世の中になるために、私たちの活動は必要なことだと思っています。
この数年、本当に災害が多発しています。
そして今後発生することが予想されている南海トラフ地震をはじめ、その他の災害でも
1人でも多くのいのちが助かるように、今後もこの活動を継続できたらいいなと思います。
ぜひご興味のある方は今後のキャンプの日程をチェックしてみてくださいね。
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