こども防災協会 鹿島 美織です。

2019年12月7日、横浜市内のホテルで「いわて三陸復興フォーラムin神奈川」が開かれました。今回は、パネリストとしてご招待いただき、多くの皆さんの前でお話をさせていただく機会をいただきました。

「いわて三陸復興フォーラムin神奈川」開催のお知らせ

岩手県の達増知事と神奈川県の黒岩知事による対談

まずは、岩手県の達増知事による主催者挨拶からフォーラムがはじまります。

来賓としていらしたのは、田中復興大臣。宮城にいらした時にお話しをさせていただいた以来で、ご挨拶をさせていただきました。

第1部のパネルディスカッション / 黒岩知事(左)と増達知事(右)
https://www.ur-net.go.jp/news/20191220_iwate_forum.html より画像を転載

第一部は、達増知事と神奈川県の黒岩知事による対談。達増知事は、ご被災された時の心情をまじえて、岩手県の復興状況をお伝えされていました。対して黒岩知事は、首長としての立場から、時に質問もはさみながら、神奈川県での取り組みを語ります。

経験したことのない規模の災害に戸惑いながら、一歩一歩、体制をつくっていた当時を振り返る達増知事のお話には多くの想いがこもっていました。そんな中で、神奈川県からの復興支援や職員さんたちの派遣、後方支援の意味は大きかったとのこと。本当にそうだったと思います。

災害の後、行政に求められる役割は多岐にわたっていました。避難所の開設、安否確認、罹災証明の発行、衛生管理… 私自身もボランティアとして、岩手県や宮城県をはじめとした行政の方と接させていただきましたが、特に初期は刻々と状況が変わる中、情報を入手して整理するだけでも膨大な労力と作業量でした。他の行政の方々からの応援なしに、対応できる業務量ではなかったと思います。

私自身は、はじめは物資などを一過性で届ける個人ボランティアとして被災地に入りましたが、何度か通ううち、必要なのは情報の整理や流通、情報のマッチングだと痛感するようになりました。そして、つなプロというプロジェクトで、各避難所の状況やニーズ等を拾って行政の方に届けたり、外部の方へ発信するような役割を担っていました。

道も寸断され、物理的な通信環境もととのっていない中で、手足を使って集めてきた情報を管理してニーズを整理するだけでもたいへんな作業でした。広範囲にわたってどんどんでてくる役割。かかりつづける電話。求められる重要な決断。側から見ていても、相当な難題ばかりでした。

忘れてはならないと思ったのは、行政の方々自体もご被災をしていた当事者でもあったこと。ご家族の安否も確認できていない状況の中で、負荷のかかる業務に取り組んでおられた方たちの姿は忘れられません。

東日本大震災から8年が経過していますが、平時からこうやって知事や職員さんが密接につながっていくことはとても大事だと思います。

防災力の向上~東日本大震災津波を教訓に~

私が登壇させていただいたのは、第2部から。
テーマは、「防災力の向上~東日本大震災津波を教訓に~」。津軽石昭彦(関東学 院大学法学部教授)さん、眞瀬智彦(岩 手医科大学医学部教授)氏、中島正弘(UR 都市機構理事長)さんと共にパネルディスカッションに参加させていただきました。

https://www.ur-net.go.jp/news/20191220_iwate_forum.html より画像を転載

避難所や仮設住宅等での活動内容を伝えさせていただきながら、それぞれの立場から意見を交わします。パネリストのそれぞれの方がたいへん個性的でパワフルな活動をしてきておいででした。災害は生活のハードもソフトもゆるがしてしまいます。自分が関わっていなかったそれぞれの分野で、多くの工夫や取組みがあったんだなと、改めて感じました。

そしてまた、数年たってこんなに多くの方がフォーラムに参加されていることに感激しました。さすがに行政が主催のフォーラムです。

どんな立場からでもそれぞれの役割があるのが災害。被災していても、被災していなくても、半日や数日でも関われることはたくさんあります。むしろ、震災から10年近くが経過しようとする今だからこそ、一人の関心やアクションの持つ意味は大きいのかもしれません。このような機会をいただいたことに感謝します。

written by 鹿島 美織(こども防災協会)